アソビ×学ぶ

バンダイナムコ知新「第8回 第1章 ナムコサウンドの足跡をたどる【前編】」慶野由利子氏、小沢純子氏、中潟憲雄氏、大久保博氏 インタビュー

きらびやかなカラーに彩られたエイリアンが、星の流れの中をきれいな弧を描きながら編隊でマイシップに迫る『ギャラクシアン』。ドットイートゲームにキャラクター性を盛り込み、キャラクターの性格までをも動きやグラフィックで表現し、スリリングな逆転要素で世界中の老若男女に親しまれた『パックマン』。

1980年代、ナムコのアーケードゲームは、それまでのビデオゲームにはないポップさや新しい世界観を持って次々に世に送り出され、当時を知るプレイヤーからは「ナムコ黄金期」と呼ばれています。そのような数々のタイトルが時代を築き、カルチャーになっていく要素の一つに、ナムコの「音(サウンド)」へのこだわりがありました。ナムコの「サウンド」はプレイヤーの記憶に刻まれ、日本初のゲームミュージックサウンドトラックという新しい音楽ジャンルを生み出すきっかけにもなりました。

第8回バンダイナムコ知新では3章にわたって、元ナムコサウンドチームのサウンドクリエイターである大久保博さん(現在バンダイナムコ研究所所属)と一緒に、プレイヤーに強烈なインパクトを残した「ナムコサウンド」について探っていきます。

第1章では、『パックマン』当時から「ナムコ黄金期」を支えたサウンドクリエイターのレジェンドの皆さまが登場。ナムコ初のサウンド専門クリエイターである慶野由利子さん、慶野さんのすぐ後に入社して長らくサウンド制作に携わり、大久保さんのナムコ入社当時には上司でもあった小沢純子さん、慶野さんの後を受けてサウンド担当者となった中潟憲雄さんに、前後編にわたりお話を伺っていきます。

※ナムコ:旧株式会社ナムコ、現株式会社バンダイナムコエンターテインメント
※ナムコサウンドチームの直系は現株式会社バンダイナムコスタジオのサウンドチーム

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慶野 由利子

1981年にナムコ初のサウンド専門クリエイターとして入社。1982年にリリースされた『ディグダグ』のサウンドにはじまり、『ゼビウス』、『ドラゴンバスター』など数々のアーケードゲームのサウンドを担当。現在、伝統楽器のための作品や映像とのコラボレーションなど、ジャンルに囚われない音創りで独自の創作活動を展開中。

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小沢 純子

1983年、ナムコに入社。代表作は『ギャプラス』、『ドルアーガの塔』、『トイポップ』、『スカイキッド』など、多くのサウンドを担当。現在は、フリーの作曲・演奏家として活動する。

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中潟 憲雄

1984年、ナムコに入社。ロボットバンド『ピクパク』の音楽を担当した後、ゲーム開発部署異動し、『ファミリースタジアム』『モトス』『サンダーセプター』等に携わる。その後社内に源平プロダクションを興し『源平討魔伝』、『ベラボーマン』をリリース。またレコード制作やライブ活動、映画製作(未来忍者)など幅広く活動。

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大久保 博

1994年、ナムコに入社。代表作は『リッジレーサー』シリーズ、『エースコンバット』シリーズ、『鉄拳』シリーズなど。バンダイナムコスタジオサウンドチームを経て、現在はバンダイナムコ研究所に所属し、新技術「BanaDIVE™AX」の開発等に携わる。

人間にはできないことができる新しい楽器との出会い

ナムコ初のゲームサウンド専門職として入社された慶野さんにまず当時のナムコのサウンド部署の空気感について伺いました。

――まず、慶野さんにお伺いします。初のサウンド専門職という形でナムコに入社された経緯からお話をお伺いできますか?

慶野:私の学んだ東京芸術大学というところは一般企業への就職が非常に少なく、そんな中で、私が4年生だった1980年当時、在籍していた音楽学部楽理科からの就職先として憧れの双璧はレコード会社と放送局でした。私も実は外資系のレコード会社を受けていたんです。けれども、面接で言われたことが、「すでにこの業界、“過飽和”です。芸大の楽理科を出た方に、事務をしてもらうわけにもいかないですしね」と。

そんななか、「株式会社ナムコ」という、知らない会社の求人が来ていたんです。求人票に書いてあった内容は、詳しくは憶えていないのですが、音楽に関わる仕事ということで比較的抽象的なものだったように記憶しています。入社試験を受けに行ったところ、面接で「あなただったらこんなことしてもらうことはできますか? あんなことはできますか?」と聞かれて。「ここは私を音楽家として扱ってくれる」と感じ、それがとても嬉しくて、レコード会社よりはるかに面白そうだったので、「もし合格したらレコード会社とどちらに行きますか?」の質問に、迷わず「こちらに」と答えました。

――面接の時点で、仕事に関する具体的な話をされたんですね。

慶野由利子さん
慶野由利子さん

慶野:1981年入社って、実は100人以上採っているんです。音楽専門職に限らず人員を増やした時期だったんですね。

私が入社試験を受けた1980年当時、ナムコにはすでに「任意波形発生回路」がありました。つまり、他社はまだほとんど「矩形波(くけいは)」しか使えない時代に、ナムコは音色(おんしょく)を作ることができる技術を持っていた。これが『ギャラクシアン』のヒットと重なったところで「サウンド専門職を入れよう」ということになったと入社後に先輩から聞きました。

“任意波形発生回路”とは?

大ヒットした『ギャラクシアン』から、『パックマン』へと進化したハードウェアは、その過程で設計されたナムコの独自開発音源を搭載していました。波形の振幅方向(下図の縦方向)に16段階、時間軸方向 に32段階という波形を任意に設定し、発音することができるシンセサイザー音源「任意波形発生回路」です。

任意波形発生回路の波形の例
任意波形発生回路の波形の例

1980年当時は矩形波を使ったシンプルなサウンドを奏でる音源が多かったなか、この「波形を任意に設定できる」音源をアーケード基板に搭載していたことがナムコのサウンドの独自性を生んでいた理由の1つといえるでしょう。

「任意波形発生回路」は『パックマン』に搭載された後、1983年稼働の『ゼビウス』まで用いられ、1982年稼働の『スーパーパックマン』から「カスタム15(以下、C15)」としてカスタムIC化されました。「C15」では同時8チャンネルの発音が可能となり、さらに厚みのある音を奏でられるようになりました。

『ボスコニアン』、『ポールポジション』などでは音声を発するためのカスタムIC「カスタム52(以下、C52)」も別途開発され、併用されます。

こうした独自のゲーム基板用音源を設計、実装できたハードウェア開発技術に加え、同時にそれをドライブするアプリケーション開発の技術もあわせてナムコのサウンドを支えていたといえるでしょう。

慶野:「任意波形発生回路」のハードウェア技術だけでなく、それを駆使してエンベロープ(音の立ち上がり・立ち下がり)を操作できるサウンドドライバーを作ったソフトウェア技術も目覚ましいものだったと思います。これによって他社製品とは大きく異なる次元にまで表現力を高めることができました。

――ゲームサウンドの表現力を上げたいという開発現場と、新しいことをやりたいという慶野さん個人のニーズがマッチしたということですね。

慶野:そうですね。でも実は私、入ってどこの部署に行くかということをあまり正確には知らされていませんでした。結局、ビデオゲームの仕事がメインなので、ビデオゲームを作るセクションに入れようということになったらしく。

当時はビデオゲームを作るセクションはひとまとめに、「第一電子係」というひとつの「係」だったんですね。そこは、ハードの設計をする人とソフトウェアを作る人も分かれていない。当時の人たちはハードもソフトも両方できたので。そういう技術者集団の中にいきなり放りこまれたわけです。私が入ったときで10人ちょっとくらいでしたか。私以外男性ばっかり、みんな若くて、ひと部屋でワイワイガヤガヤ言いながら作業をしていました。

――入社されてから、まずどんなお仕事を担当されたのですか?

慶野:仕事以前にまず「ビデオゲームの基板で音を鳴らすにはどうすればいいのか」ということ、つまり「こういうプログラムがあって、データをこういうふうに書くと、こういう音が出る」ということを教えられました。コンピュータのキーボード配置を一から覚えながらの勉強でした。

なおかつ、私の一年先輩で教育係だった大野木宜幸さん(※1)が、私のために治具(※2)を作ってくださいました。(その治具は)テーブル筐体型で、なぜか画面に星まで流れていて、レバーとボタンが1~2つあって、それを使って数字や文字を打ち込んでいく。それで、たしか「矩形波」と「サイン波」と「のこぎり波」(※3)とか、波形を3種類ぐらいの中から選んで、あとは音のピッチと長さを全部打ち込んでいく。それで「START」ってやると、打ち込んだデータが鳴るという、すばらしいものだったんですよ。

※1 大野木宜幸:『ラリーX』『ニューラリーX』『マッピー』『リブルラブル』などの作曲も担当したプログラマー
※2 治具(ジグ):工業製品を作る際に工作物を固定し、加工する部分へと案内する装置という意味が一般的だが、ゲーム業界では機構試作品などのこと


※3 波形の種類

・矩形波:すべての奇数倍音を均一に含む音色の波形(デューティー比50%の場合)

短形波

・サイン波:倍音を全く持たない純音の波形。正弦波とも呼ばれる。

サイン波

・のこぎり波:すべての整数倍音を均一に含む音色の波形。鋸歯状波(きょしじょうは)とも呼ばれる。

のこぎり波

このほか、三角形の波の形をした「三角波」などが知られている。

三角波

小沢:それで曲も作れるんですか?

慶野:理論的にはできるけれど、長い曲は大変ですよ。

一同:(笑)。

中潟:『ゼビウス』はそれで作ったの?

慶野:いいえ。それを使っていたのはほんとに最初だけ。この治具は多分、何かのゲームのROMを差し替えて作られたものだったのでしょう。

――治具に入力したものを再生すると、どんな音が出るのかがその場ですぐに分かるということですか? 簡単な音源付きシーケンサーのような…。

慶野:そうですね。「こういうデータを入れれば、こういう音が鳴る」というのがリアルタイムで分かる。でも記録ができませんでした。もしデータを取り出せていたら、効果音を作るには便利だったかもしれませんね。

中潟:それはいいねぇ。当時は0.5秒くらいの音でも、いちいち全部データにして、ROMが焼けるまで待っていましたからね。

慶野:慣れてしまえば、(この治具よりも)コンピュータで打ち込んだ方が楽ですよ。

小沢:でも、ROMを焼いて基板にセットしてやっと聴けた当時に、これは画期的だったかも…。

慶野:それはそうかも。

――先輩の大野木さんが用意なさった治具で、それまで経験のなかった慶野さんがビデオゲーム基板で音を出す仕組みを直感的に理解していった。そこからサウンド専門職としての職務が始まったわけですね。

慶野:音を作るのは、私の入社当時は大野木さんと私でした。2人しかいなかったけれども、ビデオゲームだけでなく、社内ではエレメカやロボットでも同様にサウンドが必要だったので、上司を通じて別のセクションからも要請が来ました。私にはエレメカ担当の第二電子係(後の開発二課)から『ノックダウン』(※4)のためのファンファーレの作曲依頼が最初でした。実は、ビデオゲームよりもこちらの方が先、私のサウンドのデビューでした。

※4:『ノックダウン』:筐体中央のパッドを思いきり叩くと、そのパンチ力がスコア化されデジタル表示されるパンチ力測定ゲーム。

――サウンド制作には、作曲や効果音制作、音色制作、譜面データの打ち込み、プログラムへの実装作業などがあると思いますが、当時はどこまでやられていたのですか?

慶野:とにかくデータにする形にまでする、ということです。

――小沢さんがおっしゃっていたように、ROMを焼いて基板にセットしてやっと聴けるというような開発環境だったということですが、音のデータ化は頭の中で組み上げてコンピュータに数値で入力していくような感じですか?

慶野:曲らしい曲は五線譜上で作ったり、場合によっては簡易的な鍵盤を使うこともありましたが、私はそんなに…小沢さんや中潟くんと違って鍵盤がそんなに上手くないですし。逆に、そうしてビデオゲームの音を作っていく中で私が知った面白さというのは、コンピュータって人間に得意なことは不得意だけど、人間に不得意なことは得意だということなんです。例えば「3回繰り返す」って入れるのを間違えて、ちょっとキーボードがチャタリングしたりして「33」って打っちゃったら、33回繰り返してくれる。それとか、オクターブを間違えても「こんなに高い音、歌えません!」って言わずに、パッと出してくれる。その面白さですね。

だから逆に、コンピュータに得意なことをやらせてみよう、人間じゃできないことをやらせてみよう、新しい楽器だと思って今までにないものを作ってみようって、常にそういうことを考えていました。

慶野由利子さん

――ナムコに入って、音源回路で実際に音を出して生まれていった、慶野さんならではの仕事の面白さですね。

慶野:まさにそういうことです。ただ、そうそう変わったものがゲームの音にふさわしいかというと、そういうことばかりでもないので(笑)。

――実際にサウンド担当として音作りの試行錯誤もされたなかで、ゲームに合うもの、合わないものも生まれて経験として蓄積されていったわけですね。

ナムコのゲーム独特の効果音が生み出された秘密とは?

ビデオゲームの「サウンド」として重要な要素に効果音があります。映像の演出だけでなく、プレイヤーにさまざまな状況を伝えることも大切な効果音の役割です。ここからは、どのような過程を経て、実際にアーケードビデオゲームのサウンドが作り上げられていったのかをさらに細かくお伺いしていきます。

――アーケードゲームの場合、コインを入れるときにはクレジット音、スタートのボタンを押したときにはスタート音と、役割のある音がたくさんあると思いますが、当時からその役割と音のイメージは企画の人が考えて、発注していたんですか?

慶野:そうです。企画担当からゲームの仕様書が来て、次に企画書が来るわけですけれど、企画書にはサウンドのページがあって、そこに必要な音がリストアップされているわけです。

プログラマーはそれにしたがって、その音を出す状況になったら音を出す「フラグ」を立てるようなプログラムを作ります。サウンド担当はそれにしたがって、音を作っていきます。

――どこにどんな音を入れるかについて考えているのは、基本的に企画の人なんですね。

慶野:そうです。当時は、プロト1(ワン)、プロト2(ツー)と試作段階を区切って、ひとまずプロト1でラフに仕上げて部署内で発表、その反応によって手を入れた新たな企画書に基づきプロト2で作り直して再度発表、という作業工程を取っていました。そこで変更が生じることはもちろんありますけれど、それもサウンド担当者が決めることではなく企画者の指示で決まります。

――その音に関する指示は文字で伝えられるわけですよね?

慶野:口頭でああだこうだ言われることもありました。とにかくみんなが同じ作業スペースで音を出してやっていましたから全部聴こえちゃっているわけです。企画は部屋が違ったんですけど、お互いにしょっちゅう行き来していました。

――当時のビデオゲームの音って、先にお話が出ていた「任意波形発生回路」のようなシンセサイザーで発音するわけですから、絵や指示書を見てゼロから音を作っていたわけですよね?企画の方からオーダーされて、サウンド担当者が実際に音を作って返すのに、それが実際のイメージとフィットしているかはどうやって判断されていたのでしょうか?

慶野:例えば『ゼビウス』は、企画担当が途中から変わってプログラム担当の遠藤(雅伸)くん(※5)本人になって。彼はもともと同じセクションですから、逐一(音に対して)意見をもらっていました。その辺りは非常に密にやりとりをしていて、同じ作業スペースの中で鳴っている曲をみんなで聴いては、みんなでいろいろ言ったり、勝手に替え歌を作ったりもしていました。

※5 遠藤雅伸:1981年ナムコ入社。アーケード版『ゼビウス』のゲームデザイン、プログラム、グラフィック、『ドルアーガの塔』のゲームデザイン、グラフィックを担当した後、株式会社ゲームスタジオを設立し、独立。アーケード『イシターの復活』のゲームデザイン、グラフィック、ファミリーコンピュータ(当時)用『ファミリーサーキット』や『カイの冒険』のゲームデザイン、グラフィックなどを担当。東京工芸大学芸術学部 ゲーム学科教授、明治大学総合数理学部 客員教授も務めている。

――もう、わりとおおっぴらに音楽を流していたのですね。

慶野:おおっぴらしかない。どこにいても聴こえますからね。

中潟:ヘッドホン作業じゃないから。

小沢:筐体から鳴らしていましたから。

慶野:筐体しかない。

小沢:だから失敗している曲もみんな聴こえていた。

――(笑)。形にして、データを入れてROMにして鳴らすとフロア中に聴こえちゃうと。

慶野:自分でROM焼いて、「差し替えさせてね」って持っていくんです。試作段階は「ラッピング基板」なんですよ、アンヨの長い(※6)。で、基板が複数あったりすると、角度によっては筐体に手を入れた時に引っかかって「ガリガリガリ」って、手がこう、大根おろしのようになって(笑)。

※6 アンヨが長い:はんだ付けを必要とせず、回路を自由に配線できるよう、配線を巻き付けるための端子が飛び出していた状態を指す。

中潟:痛い痛い痛い!

大久保:『ゼビウス』のサウンドデザインのことで(慶野さんに)ちょっと聞きたかったことがあるのですが、BGMでも効果音でも、それを鳴らす楽譜という考え方に加えて、響きがものすごくデザインされているように感じているんですね。選ばれている音色で音の抜けが良くなったり、アタック感が強調されたりなどあると思いますが、譜面としてだけでなく、音色の響きをとても意識されているんじゃないかなって。

以前、『ゼビウス』の音をKamata(※7)で分解して作っている人がいて、それを聴いたときに、「この音程感の少ない音色がここに重なることでこの響きになるのか…」って。

※7 Kamata:電子楽器メーカー「コルグ」のモバイル音楽制作アプリ「KORG Gadget」の1つとしてバンダイナムコスタジオのサウンドチームとのコラボレーションによって制作された、往年のビデオゲームサウンドを奏でられるシンセサイザー。

大久保博さん
大久保博さん

慶野:オシロスコープで見るとすごくわかりやすいんですけれど、実は筐体から出る音って歪むんですよ。「矩形波」が、こんなふうに(手を斜め上に上げるジェスチャーをしながら)なる。

一同:あー(うなずく)。

慶野:だから、出そうと意図したわけではなく高次倍音が出ちゃうんです。

大久保:筐体で直に鳴らして作っていたということで、その歪みで生まれる倍音成分も含めてデザインされてたわけですよね。世界観とマッチした譜面や音色を作るだけでなく、筐体の響きも考慮した音色選びにもなっているわけですね。

慶野:(楽譜を見ながら)ザッパー発射音(※8)の五線譜はご覧になったことがありますか?

「ザッパー発射音」の楽譜

※8 ザッパー発射音:『ゼビウス』の自機「ソルバルウ」の対空ショット(ザッパー)音。ゲームのメインプログラムは1インタラプト=60分の1秒だったが、『ゼビウス』ではサウンド専用のCPUを用いていたので、五線譜にあるようにサウンドは1インタラプト120分の1秒、つまり最小音価120分の1秒で作ることができた。インタラプトとはデータ書き換えのタイミングのこと。

大久保:はい、見たことがあります。

慶野:これは、非常に低い音と非常に高い音から始まって徐々に音高の間隔を狭めていく、という作り方をしています。

大久保:そうですね。低差の激しい音の往復を高速で繰り返すこの組み合わせ方がこのサウンドの響きを生んでいると思うのですが、当時、こういったサウンドが生まれた過程はどういったものでした?

慶野:『ゼビウス』は私のビデオゲームとしては2作目で、1作目の『ディグダグ』の時には、本当にさまざまな試行錯誤に日々楽しく挑戦していました。例えば、ファイガー火吐き音では、「ゴォー」っていう、うんと低い音と、「ピキピキピキ」っていううんと高い音を重ねるという方法を用いました。低い基音の上に高い倍音を含んでいる音を表現したかったので。

「ファイガー火吐き音」の楽譜

大久保:これらのタイトルは発音数も少なかったですもんね。先ほどのザッパー発射音も1音(1チャンネル)しか使えないとなると、確かに高い響き、低い響きの両方を入れ込むには高速に高低高低と両方の成分を…という方法になりますね。

慶野:『ディグダグ』と『ゼビウス』では同時発音数が3音でしたから、だいたい効果音は2音までで作らないと。『ディグダグ』では歩行音に2音、『ゼビウス』ではインゲームミュージックに1音使っているから。

大久保:単純な”ピコピコ”と言われるようなサウンドではない、こういったアプローチが他社の音とナムコの音の違いだったわけですね。

中潟:そうですね。

大久保:慶野さんや大野木さんの音の作り方とかデータを見ていると、なんかその音符の飛び方も含めて「鳴り」のところをすごく考えて作られている。

小沢:慶野さんの効果音は、すごいセンスがあるっていうか、すばらしい。

慶野:そんな、おそれおおい。

中潟:僕が最初にゲーム開発に携わるようになった当初、『バラデューク』を慶野さんの後を受けて担当したんですが、やっぱり最初は何もわからないから、どうやって音を作っているのかと慶野さんのデータを見たら、60分の1秒の音の間にめちゃめちゃデータが並んでいて…。最初はそれを見ただけでは何をやっているのか全然わからなくて。鳴らしてみて初めて、こういう音が出るのか!と。ゲームの効果音って深いんだなって思って。

もともと僕はバンドでシンセをやっていた人間なので、「バクッ」って音だったら「バ」と「ク」って音を置けばいいという発想しかなかった。だけど、それが慶野さんのデータを見たら、あ、こうやって作っているんだと。すごく勉強になりました。

中潟憲雄さん
中潟憲雄さん

慶野:「C30(※9)」での試行錯誤は面白くって仕方がなかったです。

※9 「C30(カスタム30)」:同時発音数は8音と16音の2つのモードを備えたサウンドカスタムICで、『パックランド』から搭載された。「C15」まではメインプログラム側でしか制御できなかったノイズもサウンドプログラムで設定でき、ROMだった波形メモリがRAMになったことで、サウンドプログラムで設定が可能になった。

小沢:やっぱり、試行錯誤しないとね。

大久保:『ディグダグ』の、「プーカァ」の破裂音なんかも、めちゃくちゃ好きな音で、あれを僕も当時パソコンで打ちこんで、こういう音符がこうなっているんだ、と思いました。この音は、ホントに抜けがいいというか、気持ちのいい音なんです。

慶野:モンスターパンク音の「ブゥォッ」という音は、「パパパパパパパ」って完全五度ずつ上がって高いところに来て「ティラリラリ」となってます。

「モンスターパンク音」の楽譜

――ナムコの音が当時、ゲームセンターで他社と比べて独特な存在感を持って聴こえていたのはそういう点なんですね。

慶野:当時は自分の作ったものがいつ世に出ていたか知らなかったぐらいでしたので、他社さんのことはあまりよくわかっていませんでした。

ただ、私たちは、効果音だろうが音楽だろうが、同じように全部打ち込んで作らなくちゃいけないというところからスタートしていたので、結局全部その「ドレミファソラシド」の音の中で作ったほうが、同じサウンドドライバーでできるし、やりやすかったからそうしていたのだと思います。

『パックマン』などでは「ドレミファソラシド」ではない音を使っていますし、私も『グロブダー』の、自機が走行するときの音は、自分で別のプログラムを作って、「ドレミファソラシド」ではない音で作りました。でも一年生の時は、とにかく一つのやり方を一所懸命やっていたんです。

大久保:こういったサウンドは、キャラクターのアニメーションを見てから作るんですか? 例えば、何フレーム目までがこういう動きで、ここからこうなるからみたいなことを考えられていたのか。当時、音のデザインをするときのアプローチはどうしていたんですか?

慶野:そんな難しいこと、考えてなかったから…(笑)。

一同:(笑)。

慶野:「鳴り始め」については指示されるというか、フラグが立つけど、いつまでに鳴り終わってという指示はなかったですから。

大久保:当時、制作時に絵(グラフィック)は見られたんですか?

慶野:同時進行ですね。『ゼビウス』に関しては、絵があって、動きがあって、それに音を付けるという工程を踏むことが多かったと思います。例えばシオナイトの合体音、あれは絵があって、動きがあって、それをイメージして音を付けました。

「シオナイト合体音」の楽譜

慶野:プログラマーが同じ部屋にいますから、プログラムのROMも差し替えつつ、絵のROMも差し替えつつ、音のROMも差し替えつつで、だんだんできていく状態でした。時には「音はとっくに作ったのに、プログラムができないから音が出ない」とかいうこともありました。企画者から「長くして」とか「短くして」と言われて作り直したことはありました。『ディグダグ』のオープニングでは何度も変更がありました。トコトコって出てくるところ。

――動きと音がシンクロしていますね。

大久保:今の『ディグダグ』の話で思い出しましたけれど、『マッピー』のオープニングもそうですし、曲の尺と絵の演出がビシッと合っている。キャラクターが出てきて画面が止まるところで、曲が止まって、ゲームスタートの音にすごく滑らかにつながる。あの辺の絶妙さが、他の会社ではあまりなかったんです。

慶野:確かにね。あの時代は。

大久保:あれはどういったオーダーだったんですか?

慶野:『ディグダグ』のオープニングの時は「何秒で作って」と言われてその通りに作るのですが、企画の方で動きが変更になって、そのたびに曲を長くしたり短くしたりしました。今思えば、企画者の意図に従ってプログラマーがメインキャラクターの動きを変更するたび、それに合うように曲の長さを調整するという作業は、プログラマーと同じ部屋だったから速やかにできたのですね。

波形だけでも表現方法があり、個性が出る

――「任意波形発生回路」は『パックマン』で搭載された“任意”に“波形”を作って“発生”できる音源ですよね。あの音色というのは、サウンドROMの中にいくつかデータを持たれていたんですか?

慶野:そうです。作った波形が入っていました。たしか8種類だったと思います。

――その波形は、サウンド担当者がそれぞれ自分で作られていたんですか?

慶野:先輩から受け継がれていて。最初は石村繁一さん(※10)が作ったんですよね。大野木さんが作った波形もあるし、私も作りました。以降、小沢さんたちも皆さん、作っています。

※10 石村繁一:ナムコ初のアーケードビデオゲーム『ジービー』から、『ギャラクシアン』『パックマン』のハードウェアやソフトを担当。『パックマン』では効果音も手掛けた。後にファミリーコンピュータ(当時)版『パックマン』などの開発に関わり、バンク切り替えに対応したカスタムチップ「ナムコ163」も手掛ける。

――それぞれゲームに合う音を選んで使えるようなものだったんでしょうか?

小沢:そうなんですけれど、中には同じ基板を使用しているタイトルもあって。私の場合は『トイポップ』(1986)の音楽を作りましたが、大野木さんが音楽を担当した『リブルラブル』(1983)と基板が同じだったので、波形は一緒のもので作りました。

――『リブルラブル』と『トイポップ』の音源は「C15」でしたね。

慶野:まだ波形ROMでしたね。「C30」からは1個1個手作り(RAMになったためプログラムで設定可能)になりました。

小沢:全部、先輩から受け継いだ波形で作ったんです。けっこういい音がありましたし、ROMを差し替えるとコストも上がりますからね。同じようなものだったら変えないでいいとも言われ、先輩方と同じ音色を使いこなすということも勉強になるから面白いかなと前向きに考えていました。そうしているうちに、「何かの基板にまた(別のゲームを)作る=同じ基板でROMを交換することで別のゲームにするから」っていうものが出てくるんですよね。

慶野:いっぱいありましたよ。

小沢:基板が余っているというのもあるから(笑)。

中潟:使い回しして、コストを下げるということもありました。

慶野:『フォゾン』(1984)が『グロブダー』(1984)になったりとか。

小沢:お店側からしても、低コストで新しいゲームを提供できるわけですからね。『マッピー』(1984)と『ドルアーガ』(1984)は同じ基板ですよね(搭載音源ICは「C15」)。

慶野:『ラリーX』(1981)(※11)と『ボスコニアン』(1981)も同じ(どちらも任意波形発生回路搭載。『ボスコニアン』には音声発声用の「C52」も搭載)。

小沢:この二つはハードだけでなく、プログラム的にも同じ部分がありますよね。

※11:『ラリーX』は1982年にBGMなどを刷新した『ニューラリーX』がリリースされています。

――この時代の「ナムコサウンド」の個人的な印象として、「明るい」「響きがすごい」「音に厚みがある」という統一感が感じられる反面、ゲームとしてはいろんなジャンル・カラーで作られていて、同じ音源なのに別のゲームとしてきちんと演出されていた理由が少し理解できた気がします。

小沢:でも、波形はたった32bitだし、音量は16段階だけど…。私はあの(制限の)中で、波形だけでも表現方法があるなと思っていました。「全部“ピコピコ”だ」という考え方もあるんだけれど、その“ピコピコ”の中にずいぶん幅があるなと。しかもそれぞれの人の選んでいる波形がものすごい。慶野さんの使っている波形は、慶野さんの個性をものすごく感じますよ。

中潟さんは、最初私に「いい波形ある?」って聞いてきて。

中潟:そうそう(笑)。

小沢:私が作った全部の波形を渡したら、そのうちいくつか選んできて「ちょうだい」って。その波形を見たら全部私がボツにした波形だった。「いいのかな」と思いながら「どうぞ」ってそのままあげたんだよね。

中潟:いやぁ、それが良かったんですよ。

小沢:そうしたらすごくかっこいい中潟さんらしい曲を作っていて。それで同じ“ピコピコ”なんだけど、それぞれの個性がすごく出ているなと感じたんです。

中潟:そういうこと、あるよね。

小沢純子さん
小沢純子さん

――小沢さんがボツにした波形データを、中潟さんは「これがいい!」と使われて、それが世に出たということでしょうか?

中潟:そうそう。

慶野:「私の音じゃないわ」っていうのが「中潟サウンド」として成立したわけですね。

大久保:波形データを作る時って、サウンド担当同士でお互いに話をする機会はどれぐらいあったんですか? 作っている途中に「ちょっと聴いてみたいな」とか「この音ちょうだい」とか。

慶野:聴いてみたいというより、聴こえちゃう。

小沢:どっちかというと「うるさいなぁ」と思いながら作っていたりしますよね。

一同:(笑)。

中潟:「あんなことやってる」って。

大久保:ナムコからはさまざまなジャンルのゲームを世に出ていましたが、ブランドというか、音としての統一イメージがあったと思うんです。音源が統一されていたり、受け継いだ音色を使用したりというのもあるかもしれませんが、会社として、サウンドチームとして何か「こういうアプローチをしよう」っていうポリシーや考え方があったんですか?

小沢:ナムコの音としてのカラーが生まれた理由は何か? ということは、言葉では言えないんですけど、私が入社した時は、大野木さんと慶野さんっていう偉大な先輩がいたわけなんですよ。大野木さんが作るものと慶野さんが作る音楽のキャラクターは違っていてそれぞれすばらしいのだけれど、個性がそれぞれあった。

そこに私が入った。当然、開発中に先輩たちの作る音が聴こえてくるんですよ。未完成の音ももちろん聴こえてくるし。そういう音を聴きながら、やっぱり2人のことは意識していましたね。すばらしい先輩がいる、だから私も「ここで恥ずかしいものは作れないぞ」というプレッシャーはもちろんありましたね。

中潟:先ほども言った効果音の話ですが、慶野さんの効果音のデータって、情報量がめちゃくちゃ多いんですよ。「ピロン」って「ピ」と「ロン」の2音で済むじゃないですか。だけど結局同じ波形を使ってBGMを作っているから、その中で「ピロン」って鳴っただけでは、まったく音が立たない(際立たない)んですよ。

そこで60分の1秒単位で、複雑なめちゃくちゃ音飛びのする、ぎゅっと凝縮された効果音を作ることによって音を引き立たせる。それを発明したのが、大野木さんや慶野さんだと思うんです。

慶野:特に、(中潟くんが後を引き継いでくれた『バラデューク』は)「C30」だったから、スイープ(※12)やピッチベンド(※13)がかけられていたりして、音符に書けない音がたくさんありましたものね。あのデータだけを見て勉強するのは大変だったと思います。

※12 スイープ:音の周波数を一方向に滑らかに一定の速度で変化させること

 例1:『バラデューク』パケット・サンキュー音

 例2:『バラデューク』パケット・ いやいや音

※13 ピッチベンド:音の周波数を一方向あるいは上下両方向に滑らかに変化させることにより、音高を曲げるように揺らすこと

 例:『バラデューク』パケット・ 泣き音

【※本記事に引用している参考資料につきまして】
・本文中のBGMや効果音などの音源へのリンクは、お客さまのご利用環境によってアクセスできない場合があります。
・特許取得や裁判資料として使用するなどの目的で、ゲームの仕様書、キャラクターのグラフィックとともに、BGMや効果音などの楽譜が知的財産記録としてバンダイナムコエンターテインメントに保管されています。楽譜はその資料を使用しています。なお、基本的に五線譜化の作業はゲーム実装後に作曲者本人が行いました。
・動画は、移植版タイトルのものを引用しています。

【編集後記】
1980年代、ゲームセンターという喧噪の中においても、ナムコのアーケードゲームが際立った存在として輝いていたのは、任意波形発生回路=独自の音源という当時としては先進的なハードウェアを搭載したのみならず、細かい音を高速に重ねて生み出された効果音など、サウンドクリエイターの皆さんが様々な工夫によって使いこなしていたことが印象に残りました。次回はさらにその秘密に迫っていきます。

当インタビューは、中学生時代よりナムコミュージックの大ファンであり、当時、ゲームセンターにテープレコーダーを持参してプレイサウンドを録音したり、「ザ・ビデオゲームミュージック」のレコードを予約して購入したというエピソードをお持ちの大久保さんにアドバイザー兼インタビュアーとしてご協力いただきました。この場をお借りして御礼を申し上げます。

取材・文/佐伯 憲司
ライター/編集者。ゲーム関連本、ニュースサイト、攻略映像などに関わったのち、現在フリー。ナムコのゲームとの出会いは、薄暗い中で極彩色の色とド派手なステージスタート音に思わず2度見した『ギャラクシアン』。当時は「ゲームセンター」だけではなく喫茶店や個人商店のはなれなどでもゲーム機と出会うことができました。

つづく後編では、ファミコンが登場した時期のお話や、今の時代と比較した当時のサウンドチームの魅力についてなど、まだまだナムコサウンドの知られざる魅力をたっぷりお届けする予定です。次世代のサウンドクリエイターを目指す方は必見! 更新をお楽しみに。